放送大学で勉強中

放送大学で頑張って勉強する日記です。

【読書感想】精神分析の名著 ―フロイトから土井健郎まで 立木康介編著

精神分析の名著について、それぞれ簡単な解説をつけて紹介している

いわゆるアンチョコ本。

 

しかし、精神分析の世界について、その歴史を概観できるので、

なかなかよいとおもう。

 

取り上げられているのは、S・フロイト、クライン、A・フロイト

ビオン、バリントウィニコット、メルツァー、ハルトマン、

エリクソンマーラーカーンバーグコフート

ラカン、ラプランシュ、ドルト、土居健郎

 

それぞれの章ごと著者が違っており、

日本の現在の精神分析家たちがそれぞれ分担して、

それぞれの名著の内容をダイジェストで解説している。

 

放送大学の授業では、フロイトユングについては、

わりとと取り上げられているのだが、

それ以外の精神分析家については簡単に触れられているぐらいで、

あまり詳細は取り上げられていないため、このような本は参考になる。

 

この本を読むと、精神分析の世界は、決して一枚岩ではなく、

実は各派閥というようなものがあり、それぞれ対立したり、

いろいろとあった歴史が理解できる。

 

ダイジェストの解説といっても全体的にはかなり難しいので、

私も読んでもほとんどわからない章もあるのだが、

それぞれの派閥の歴史がわかって興味深い。

 

割と面白かったのは、「序章」と「症例ドミニク」、「甘えの構造」などの

解説がわりと簡単で理解しやすかったが、

あまりよくわからなかった章も多かった。

これは完全に読み手である私の勉強不足だと思う。

 

とりあえずわかるところだけでも読んだという感じだが、

よんでよかったとおもう。

 

半年後に読んだときはもっと理解できていればよいなとおもい、

いったんこの本を閉じる。

 

精神分析の名著 - フロイトから土居健郎まで (中公新書)

精神分析の名著 - フロイトから土居健郎まで (中公新書)

 

 

【読書感想】生涯発達の心理学 高橋恵子・波多野 誼余夫著

非常に気になる著者の「波多野 誼余夫」の読み方は、

「はたの・ぎよお」らしい。

 

この本は、発達とは以前は20歳ぐらいまでを対象として

考えられてきたが、現在では生涯発達するという考えが、

さまざまな調査で明らかになったというような話。

 

歳をとるということが、衰えと考えれているが、

実際はかなり高齢になっても発達しており、

実際に衰えるのは、一定年齢になってからというより、

死去する前の数年間が衰えていく過程となっているという。

 

 高齢者は、今までの経験から自分をよく知っており、

自尊感情も高く、何らかのエキスパートであり、

思われているほど衰えた存在ではないということをさまざまな調査や実験で、

しめされているということをまとめている。

 

いままでの高齢者は若者より衰えているという主張は、

知能テストや作業スピードを試すテストをしていたため、

これらは、学校教育を受けている最中の学生のほうが

普段からペーパーテストを受けているため、ペーパーテストの点が、

高くなりやすいという傾向や、単純なスピード競争であれば、

若い人が成績が高くなりやすいだけであり、

高齢者の有能さを調査する方法としては適切でなかったという指摘である。

 

また、逆に乳幼児のほうが、よく発達するという考え方も、

実際の調査ではかならずしもそうとも言えないとしている。

 

2,3歳ぐらいの子供は、次々と言葉を覚えるので、

言葉を覚えるには幼児期が最も良いと誤解されているが、

実際に調べてみると、2,3歳児より、10代前半のほうが、

言語を覚える能力は高く、

2,3歳児が、言葉を覚えるのが早いと思っているのは、

年の割には、早く覚えるという意味でしかないという指摘だ。

 

 また、2,3歳児は、すぐに言葉を覚えるが、

逆にすぐに忘れてしまう傾向が高く、

アメリカで英語が話せていたのに、2か月ほど日本に帰ってきたら、

すっかり英語を忘れてしまった幼児の例などが挙げられている。

 

このようにこの本は一般的に思われている発達についての先入観を

実際の実験や調査によって、反論している本だ。

 

章ごとに話の内容が目まぐるしく変わるが、

全体的には面白いエピソードが多いと思う。

 

 

生涯発達の心理学 (岩波新書)

生涯発達の心理学 (岩波新書)

 

 

【読書感想】 権威と権力―いうことをきかせる原理・きく原理 なだいなだ著

以前よりかなりの名著と絶賛されていたので、

一度読もうと思っていた本で、今回図書館で借りてきた。

 

結論をいうと、まさに名著である。

この本は、精神科医のなだいなだ氏が、権威と権力について、

高校生と対話するという形式で書かれている。

したがって、文章は非常に平易で、

高校生でも十分読める内容となっている。

 

この話はまず、高校生が作者に、

クラスにまとまりがないということを嘆きつつ相談し、

どうすればクラスにまとまりが生まれるのか?という話から始まる。

 

それを聞いた精神科医も、たしかに最近、政治でも企業でも、

どこもまとまりがなく、みんな好き勝手にバラバラになっており、

昔はもっとまとまっていたはずなのにと、この高校生と同様に、

嘆く意見をよく聞くと思い、これは十分検討に値する

内容だとおもって、二人で対話が始まる。

 

二人は、なぜ最近の人はまとまりがなくバラバラなのかという対話の中で、

昔は、父親、先生、医者、政治家などは権威があったのに、

最近ではすっかり権威がなくなってしまったので、

それが原因ではないのかという話になる。

 

そして、権威と権力とは何が違うのかという話になる。

 

そして、権威というものは何なのか、

ひとはなぜ権威というものをありがたがるのか?

権威があるということはよいことなのか?

 

などなどどんどんテーマを掘り下げていく形式となっている。

 

この本の初版発行は1974年となっており、もう今から40年以上前だ。

そのため一部記述が古いなと感じるところなどあるのだが、

全体的には、この権威や権力についての考察は、

今でも古く感じない点は、つまり、40年間日本の社会は、

それほど進歩してないということなのかもしれない。

 

この著者は、アル中専門の精神科医なのだが、

対話の途中に、医者という権威にすがって、夫のアルコール中毒を、

何とかしてほしいという患者の家族がやってくるエピソードがある。

 

この話などは、おそらく当時、著者が普段から、

診察室でよくやり取りされていた光景なのだろう。

 

この著者は、医者が権威を持って、その権威の力で、

患者をコントロールすることを否定している。

権威で患者にいうことを聞かせるのが医者なら、

医者は医学の勉強など必要ではないではないか?

医者は、事実をきちんと患者に伝えれば、

患者自ら自分の得になる行動をするのだということを言っている。

 

いまでは当たり前のインフォームドコンセントだが、

この時代はまだまだ一般的ではなく、

人々は、医者の権威にすがって、治療してもらうという、

意識が高かったのだろう。

 

2016年現在でも、共同体のまとまりのなさを嘆き、

権威の存在を待望する意見は非常に多いとおもうが、

そのようなご意見の方、一度この本を読んでみられると、

頭の中が整理されるのではないかとおもう。

 

権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)

権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)

 

 

心理臨床とイメージ 第6回 MSSM法

心理臨床とイメージではすでになんどか登場している山中康裕先生考案の

MSSM法の回。

 

Mutual  Scribble story Making Methodの略がMSSM法となる。

日本語に訳すと「交互ぐるぐる描き投影・物語統合法」となるのだが、

日本語に訳すと長い。

 

MSSM法は、1枚の画用紙に、まず手書きで枠線を引く。

クライアントに依頼して、その枠線を漫画のコマ割のように、

6コマか8コマ程度に線を引いてコマを作ってもらう。

(クライアントに拒否された場合は、セラピスト側がコマ割りをする。)

 

そのうえで、まずじゃんけんをして、勝っても負けても、

セラピスト側が、「勝ったから私からね」または、

「負けたから私からね。」と言って自分からこのコマ内に、

適当なぐるぐるを描く。

 

そして、クライアントにこのぐるぐる描きからなにかにみえるものを見つけて、

色鉛筆やクレヨンなどで、そのぐるぐる曲線を使って絵をかいてもらう。

 

今度は、クライアントが次のコマに、適当なぐるぐるを書いてもらい、

セラピスト側が、そのぐるぐる曲線を使って、同様に絵を描く。

 

というのを、1コマ残すまで交代で続けて、

最後に残ったコマに今まで書いた絵を使って

クライアントに物語をつくってもらい、

その最後の1コマ内に話を書く。

 

以上が実際の作業となる。

 

この方法の優れている点は、

非常に遊びの要素が強く、クライアントに喜ばれる方法であること、

道具の用意が簡単で費用が掛からないことがあげられる。

 

このMSSM法の紹介の後、実際に考案者の山中康裕先生が、

この方法ができた経緯を話している。

 

もともとはナウンバーグの考案したスクリブルという方法と

ウィニコットの考案したスクイッグルという方法を中井久夫氏に

紹介されたので、実際の診療でスクイッグルを導入したのだが、

当時、山中康裕先生は、毎日40人ぐらい診療しており、

そのうちの数名にこのスクイッグルをすると、

毎日何十枚もの絵を描いた画用紙がたまり、

整理整頓が苦手な山中康裕先生は、どれがどの患者のなのか、

わからなくなるので、それなら1枚にしてしまおうというのが、

そもそもの発案だったらしい。

 

そのうち、ある大人の患者だったそうだが、

描いている途中に「あっ、間違った。見ないで」といって、

絵を手で隠してしまった。

そこで、山中康裕先生は、部屋にあったカレンダーの一部を切り取って、

その患者の間違ったコマにカレンダーの絵をはったところ、

その患者が「これがいい」といったので、

「MSSM+C法」(Mutual  Scribble story Making with Collage)が、

うまれたとのこと。

 

MSSM法とは、理論が先にあって計算されて考案されたわけではなく、

臨床の現場で、クライアントとのやり取りの中で自然に生まれたもので、

したがって、方法にこだわるものではなく、

状況によって柔軟に変化させて良いものだとしている。

 

たとえば、コマ割りは、原則6コマから8コマとなっているが、

そこまでエネルギーのないクライアントの場合は、

もっとコマ数を少なくしてもよいし、

最後の物語の作成もクライアントが「できない」といわれれば、

セラピスト側が物語を作ってもよい。

 

また、小野けい子先生が、このMSSM法を発展させて考案したのが、

色彩誘発MSSM法で、

通常MSSM法は、黒いサインペンでぐるぐる描きをするのだが、

小野けい子先生は、クライアントがサインペンで、

鋭くがちがちとした線を描くのを見て、

もっと柔らかい表現がしたくなったので、

あえてピンクのクレヨンで丸く柔らかい曲線を描いたことで、

クライアント側もこの線を見て羊を描いてくれたことをきっかけとして、

作られた方法であるという。

 

クライアントの状況によっては、黒いサインペンを使ったほうがよいこともあるし、

よりメッセージ性の強い、色彩を用いたほうがよいこともあるとのこと。

 

MSSM法は、何らかの診断やテストとして行われるのではなく、

セラピストと、クライアントのコミニュケーションツールとしての

側面が強く、クライアントの抱える問題そのものに焦点を当てずに、

あえて、いったんそこから距離を置くことによって、

問題解決の糸口をつくるというような意味があると思われる。

 

そのため適応範囲が広くこのような人には禁忌ということはないが、

山中康裕先生によると、日常でも混乱しているような患者には、

適さないため、その場合はある程度症状がおちついてから、

導入したほうがいいとのこと。

 

ここからは私の感想だが、

このMSSM法の優れている点は、

クライアント側が一方的に、セラピストから絵を描くことを

要求されるわけではなく、お互いが絵を交互に描くという点だと思う。

 

カウンセリングをする際には、かならず費用をとることが、

セラピストとクライアントの関係を対等に保つために、

重要であり、それ自身が治療的な意味があるとされるが、

この、交代で絵を描くということ自体がやはり、

セラピストとクライアントの関係を対等にする意味が

あるとおもう。

 

カウンセリングに来るということは、

心の中に何らかの問題を抱えて弱くなっているということであり、

その心が弱くなっている状態のクライアントと、

心のプロであるカウンセラーが、一対一で対峙したとき、

対等になることはむずかしい。

そこには、依存や支配が生まれやすい側面があるため、

カウンセリングがかえって逆効果になることだってある。

 

MSSM法は、本来は対等になることが困難な

クライアントとセラピストを、対等な関係と思わせる、

演出として意味があるのではないかと思う。

 

心理臨床とイメージ 第5回 箱庭療法

小野けい子先生の最も得意な分野でもある箱庭療法の回。

 

箱庭療法の創始者でもあるカルフ女史の自宅に取材に行って、

その子息であるマーティン・カルフ氏のインタービューもあり、

前回にもゲストで出た山中康裕氏が、箱庭療法が日本に普及した裏話なども

語っており、非常に充実度の高い回だ。

 

全体的に、箱庭の解釈よりも、箱庭療法を行うこと自体の

治療的意味についてかなり重視した内容となっている。

 

山中康裕氏がまだ30代のとき、カルフ女史の

箱庭療法の本をすでに自分が翻訳していたのに、

河合隼雄氏が、この出版を許可せずに、

むしろ河合隼雄氏のかいた箱庭療法の本が先に出版されたことについて、

当時は相当腹が立ったが、今思えば、箱庭の解釈中心の本である

カルフ女史の翻訳本を先に出してしまったら、箱庭療法が解釈中心に

なっただろうから、いまおもえばあれでよかったと思う。

と、率直に語っているのは、かれがもう70代になっているからなんだろうなと思う。

 

そもそもの心理学の学問領域そのものとは関係はない話だけど、

当時の人間関係を示す裏話としては面白いと思う。

 

この箱庭療法は、バウムテストや

風景構成法に比べて、道具を用意するのに費用がかかる方法と思うが、

実際に、自分がやるとしたら、バウムテストや風景構成法より

はるかにやってみたい気持ちになる。

 

というか、どこかでできるならぜひやってみたいのだが、

成人でも箱庭療法がうけられるところが、あるのだろうか?

 

思春期・青年期の心理臨床 第3回 青年期をいかに過ごすか-大人になるということ-

引き続き、かなりつらい授業。

ほぼ書き言葉をよんでいるので、

本当に頭に入らない。

 

また、この先生の意見や自分の経験に基づく話がほぼなく、

ほかの先生の意見を紹介することが中心となっているため、

話がどうしても伝聞のような内容となっている。

 

話し方が一本調子というのは本当に聞いててつらいですね。

【コラム】深く考えさせられた小学生男子の事情

先日、2歳の息子を連れて、近所の公園に行った。

まだ2歳なので、話し始めたばかりで、

挨拶もまだ十分にできない、知らない人と会話も難しい歳だ。

 

当初いつもの通り、一人で遊んでいたのだが、

しばらくすると、小学生男子4人組がやってきた。

息子の乗っているブランコの横のブランコに乗り始めて、

立ちこぎなどをやっている。

 

その中のもっとも小さい子(小学1年生)が、

息子に興味を持ち、息子もその子のまねをし始めた。

 

多分その子はうれしくなったのだろう、

ブランコに乗る息子の背中を押し始めた。

息子は、怖がるかと思ったが、意外とがんばっていたので、

見守るだけにして、あまり強く押したときは、

ちょっとだけ注意して、しばらく見守った。

 

小学生たちは、息子の持っていたサッカーボールに興味を持ち

私に、「使っていい?」と聞いた。

私は、「いいよ」といって彼らに使うのを許可したが、

今度は2歳の息子が「○○ちゃんの~」といい始めて、

所有権を主張しはじめた。

息子にとっては、自分のボールなのに、

勝手にお母さんが使用許可を出してしまって、

かなり不満だったらしい。

 

小学生たちも本来息子のボールというのはわかっており、

息子に気を使いながら、

でもサッカーボールを思いっきりけってみたかったらしく、

遊んでいた。

 

その中で、最初に息子に興味を持った、

4人組で一番小さい小学1年生の子が、

息子にげんこつでこつんと頭をたたいたのだ。

もちろん、強いくたたいたわけではない。

息子が、その子に何かひどいことをので、

仕返しに、その子がげんこつしたわけではない。

何の脈絡もなく突然げんこつをしたのだ。

 

要は男の子同士のおふざけの範囲なのだが、

わたしは、「たたかないでよ~」といって息子をかばった。

その子は、「いたくないよ」といった。

 

そう、痛いほどではない。げんこつが頭に接触したという程度なのだ。

その子は、私に注意されたのでバツが悪くなったのか、

わたしの背中に抱き着いて、悪意のなかったことを甘えた風にしめした。

 

その後、私は「そろそろかえるね」といって、4人の子たちと別れた。

 

息子は、初対面の年上4人組と接して、

途中、サッカーボールを取られたと感じたところもあって、

少しストレスがあったようだが、

夕方には、いつもどおりに機嫌が直った。

 

さて、この経験は私にとって、

なかなか貴重なものだったと感じた。

 

個人的には私には男兄弟がおらず、

あまり男の子の人間関係はよくしらなかったのだが、

今回この4人の男の子と接して、

男の子同士の微妙な力関係が存在するということを知った。

 

この子たちは、基本良い子たちなのだが、

男の子同士の力関係というものがあり、

たぶんこの4人組の中では、最も小さい小学1年生は、

どうしても一番下の地位だったのだろう。

 

そこに、自分よりはるかに体格の小さい子と

偶然に出会って、その子が自分のまねをするので、

自分の子分ができたような気がしてうれしかったのだろう。

 

その子なりに、息子が自分に興味を持ってくれたことがうれしく、

ブランコで一緒に遊んでくれたりしたのだが、

同時に、今まで自分が恐らくほかの子たちにされたように、

からかい半分でげんこつをすることで、

自分のほうが格上なんだぞと示す行動をしたくなってしまったのだ。

 

しかし、私という大人がいて注意されたので、

自分としてはけっしていじめるような意図ではなかったと

甘えたような態度で、自分の行動を弁解することになったのだ。

 

この小学生の男の子の気持ちはとてもわかる。

しかし、同時にいたくないとしても、突然げんこつされた、

息子の気持ちもわかる。

痛くなければいいというものではなく、

いっぽう的に上下関係をしめされるのは不愉快になるのだ。

 

この男の子同士の上下関係の形成は、

本来は正しくないことだが、おそらく小学生時代にある程度済ませておいて、

いくら痛くないにしても、相手に一方的な上下関係を示すことは、

よくないことなんだろうなということを、試行錯誤の上に、

理解しておくことが必要なのだろう。

 

そのうえで、中学・高校の段階に進めばいいが、

相変わらず中学・高校の段階でも、上下関係の形成にこだわっていると、

このころは体力もあり、また勉強のストレスも大きいため、

致命的ないじめや、けんかによる大けがなどを、

引き起こすリスクがあるのだろうと想像する。

 

2歳の息子にはちょっとストレスが大きかったかもしれないが、

まあ、それほど致命的なショックがあったわけでもないし、

私もそれなりにフォローできてよかったと思う。

 

しかし、今後も注意してみておかないと、

いけない点なのだろうなと思い勉強になった。

 

男の子同士の人間関係の形成は、

いずれは避けられないことだろうから、

仕方ないが、大人も十分注意しておきながら、

こども同志の試行錯誤の人間関係形成を見守る必要があると感じた。